解体
解体
霊が存在するなら 相対的でなくてはいけない
つまり 牛やひまわりなどの
霊が存在しなくてはならない
だが 動物の霊の話は キツネなど
少数しか聴かない
ここに 何かヒントが あるのかもしれない
例えば三途の川の話があるが
その すべてが霊だとしたら どうだろう
花に関する霊話も聞いたことはない
でも 三途の川に咲く花も 死んだ花の霊だとしたら
ん~ ちょっと 無理があるか
脳には いろんな記憶があり
いろんな空間がある
微生物時代から人間までの長い進化時間の中で
死などが どういう風に定義されているのか・・・・
時代 世代で 死の定義は いろんな風に
解釈され 記憶されていると思うが
三途の川も 脳が進化の過程で
経験した一つの死の定義なのかもしれない
動物霊を探しに 屠畜場へ向かう
犠牲の中にある光景は 感謝以外に言葉はない
機械化された解体マシーン 規則正しく動物を解体する
そこから奏でられる音楽のような動物の悲鳴
子供の毛づくろいをする親は
本能で そうしてるわけではない
本能を素に 何が大事なのかを学んだ結果
そうしているのである
意識は常に発展しつづける
人が人を尊いと思うのと同じである
だが この尊い物の家族も努力も因果により食肉にされていく
何かを作れるものには 何かを恨む事が出来る
ここに牛などの霊がいる確立は高い
だが 血まみれになりながら賢明に仕事をしれいる人に
霊の話は聴けない
犬や動物は どんどん生産され いらなくなったら処分する
おもちゃや電化製品と同じ原理
人間も同じである
だが 経済上 法律上いらない人間を
殺す場合は 創意工夫が必要でモノ扱いはしない
そして こういう努力の結果 国や人は成長 利益を手にしていく
だが こういう因果の結果 格差 資源 心などに
大きな影響を与えた
これを回避できる可能性の一つに
霊は 存在できるかもしれない